神社について

御祭神
大山祇命  (おおやまづみのみこと)
事代主命  (ことしろぬしのみこと)
大山咋神  (おおやまくいのかみ)
伊弉諾尊  (いざなぎのみこと)
弟橘姫   (おとたちばなひめ)
伊古那比賣命(いこなひめのみこと)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
白山媛命  (しらやまひめのみこと)
菅原道真公 (すがわらみちざねこう)


 創建は詳らかではありませんが、古くから「大井の宮」と呼ばれ、この辺り一帯(旧曽我村、即ち現在の大井町上大井、西大井、小田原市鬼柳、小田原市下大井)の鎮守として祀られていました。

 一方、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、源氏の再興を願って静岡県三島市にある三島大社を祈願所とし、参拝を怠ることがなかった、といいます。
 治承4年(1180)、挙兵に成功し源氏の再興を果たした頼朝は、神々のご加護のおかげであると、まず三島大社を修復再興し、続いて各所八カ所に三嶋神社を勧請しました。当社はそのなかの随一のお社であると縁起録は伝えております。
 頼朝は当社を守護神と崇め、建久元年(1190)後白河法皇に拝謁するために上洛する途中や、同4年(1193)富士野に巻き狩りに赴いた際など、機会あるごとに当社に参拝奉幣しています。
 頼朝によって三島大社のご分霊を受け勧請された当社は、「大願のかなうお社」「武家の守護」として執権北条氏関東管領足利氏小田原北条氏など武門武将の尊崇を受けてきました。
 小田原北条氏二代目当主の北条氏綱は、大永2年(1522)に当社に対し神田を認定し、境内の山林竹木の保護、社人の服務などについて厳しい規則の条目を定め、法度状を発行しました。この法度状は、現存する最古の虎の印判状です。

 江戸時代に入ってからも、大久保忠世稲葉正則など歴代の小田原城主からそれぞれ社領の寄進を受けています。

 1738年、某家の火災の延焼の災に遭い、本殿をはじめ建造物の悉くを焼失しました。以来、200年の長きにわたり、粗末なご社殿のままでしたが、氏子の方々の奔走によって大正元年(1912)、現在のご社殿が建立されました。

 また、境内神社に、源頼朝夫人政子(安養院)が所願成就のために勧請したと伝わる厳島辨天社(御祭神・・・市杵島媛命(いちきしまひめのみこと))があり、安産の守り神として篤く信仰されております。 厳島神社祭は4月10日に行われます。

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